三たび錦秋の古都へ(その1:二条城)

 

こんにちは。

 

アップがすっかり遅くなりましたが、11月の下旬、京都に名残の紅葉を観に行って来ました。

京都は今年3回目となります。
平日にもかかわらず各地は多くの人が訪れ、外国人も欧米人を中心に多かったです。

 

着いた日は、翌日からの紅葉鑑賞を前に、以前から一度行きたかった二条城の見学へ。

 

 

二条城は、徳川家康によって、1601年(慶長6年)に築城が命じられた城で、京都御所の守護と将軍が京都に上った際に宿泊する目的で作られたそうです。
1603年に徳川家康が入城し、征夷大将軍の就任を祝う会が開かれたと言われています。
将軍の、江戸の居城が江戸城であるとともに、京都での居城が二条城だっだということですね。

 

これは、二の丸への入場門となる「唐門」を内側から撮影したものです。
すでに豪華な意匠で凝った作りです。

 

二条城内では、最初に 二の丸御殿の内部を見学しました。
二の丸御殿内は、将軍が全国の大名に謁見する場として さすがに絢爛豪華でしたが、全て撮影禁止だったのが残念です。

 

二の丸御殿の見学に堪能し庭に出ましたが、第十五代の徳川慶喜によって大政奉還の宣言が行われたのも、この場所だったとのことです。二条城は歴史の大舞台でもあったのですね。

 

二の丸庭園は小堀遠州の作庭と伝わり、国の特別名勝に指定されています。
また昭和に入ってから中根金作により作庭されたという清流園も見事でしたが、二の丸庭園、清流園 ともに あまりにも広大で、単純に一周するだけで疲れました。まだ明るいですが、今日は早めにホテルに帰ります。

 

 

バスで移動中に、河原町坂本龍馬関連の石碑が目に入りました。
この場所は、慶応3年11月15日(1867年12月10日)、海援隊隊長・坂本龍馬と陸援隊長・中岡慎太郎が、河原町通蛸薬師の井口新助が営む醤油屋「近江屋」で、京都見廻組の襲撃を受け殉死した場所だそうです。城外でも歴史の動いた街でなんですね。

 

夜の食事処で、マスターから「知恩院がライトアップしてますよ!」と教えて貰い、神宮道を経由して宿に向かったら、幻想的にライトアップされていました。

 

道々の地元料理のレストランも風情があります。青蓮院門跡の近くです。青蓮院はライトアップしてませんでした。

 

東山三条の 粉もんの人気店らしいです。粉もんは大阪の専売特許ではないのですね。

 

翌日(2日目)は 東山の北部の方の寺社に紅葉を観に行きます。

 

ではまた。