こんにちは。
今日は、過日のフランス旅行の間に訪れた 芸術家たちにゆかりの場所について、書いてみます。その<1/3>です。
地中海沿いの街ニースから日帰りで、鷲の巣村 エズ を訪問。
エズは、中世の頃 崖や岩山の斜面や上にへばりつくように作られた集落が起源とのこと。元は地中海を監視するために山の上が開発されたとか。
また、ここは、ニースに住んでいたというマティスやボナールなどが訪れて、地中海を望む風景を好んでスケッチ作品を残した場所とも言われています。
近づくと このように崖に家が建っています。

下の写真の地点が、エズ 鷲の巣村への登り口です。
無料で訪問できますが、トップにある展望台は有料となっています。

登る道沿いには、芸術的な品などを扱う お洒落なブティックが並んでいます。

これは自然の岩石と建物を一体化した造りか?!

展望台から見下ろす地中海の景色。

地中海は、大西洋との間で 強い潮の流れが無いので、沿岸の気温は比較的安定しているそうです。そして夏は乾燥していて晴天が多く、冬は温暖で雨が降るとのこと。
オリーブやぶどうなどの栽培に向いているようです。
街はお洒落で歩くのが楽しく、展望台からの眺めはとても素晴らしかった。
さて、エズ と ニース近郊を後にして、アルルへ。
前号では 歴史に着目してアルル訪問記を書きましたが、今回は、絵画・後期印象派 の ウ”ィンセント・ウ”ァン・ゴッホ が主役です。
前回でも地中海岸からアルル地方に至る原野の風景を載せましたが、南仏プロバンス地方には「糸杉」の木が多くあります。あとは、ポプラも多いです。
ツアーディレクターさんによると、プロバンス地方は高い山がないので、フランス北部からの冷たい風が、内陸を通って地中海へと 強く吹き降ろすそうです。
ローヌ渓谷が風の通り道となっていて、特に12月から4月頃にかけては、冷たく一直線に強く吹くのだとか...。 地元では、” ミストラル ” と呼ばれているそうです。
この強い風から家や農作物を守るため、車窓から防風林が多く見えますが、糸杉とポプラ がその役目を負っているようです。
下の写真の円錐形に 細くとんがった木が ”糸杉”(サイプレス)です。
ゴッホは、風景画では 糸杉を特に好んで描いていて、それを直接描いたり 背景に入れた作品を 10点以上残しているとのこと。 後で改めて出て来ます。
糸杉の並木。 枝が横に広がらないのが不思議ですね。

アルルに近づきました。
ここは 高速を降りてしばらく走ったアルル 入口に入る接続交差点。
フランスには 日本のような交通信号付きの交差点は、(大都市中心部を除いては)ほとんど見られず、写真のような「ロータリー」ばかりです。

最初に、跳ね橋を見に行きます。
ゴッホの『アルルの跳ね橋』の絵のモデルに近いと言われ、「ウ”ァン・ゴッホ橋」と呼ばれている跳ね橋を観に行きます。

現存する跳ね橋と、絵は、同じに見えるでしょうか??
跳ね橋が架かる川が近づいて来た。

バスを降りて跳ね橋へ。
意外に素朴な橋です。 さすがに古い! 優に百年以上経った建造物とすぐわかる。

近づきます。

ゴッホの絵では、橋の上を幌馬車が通っていますが、この跳ね橋は そこまで大きくはなさそう。
ゴッホが実際に描いた橋は 老朽化などで失われ、この橋は後に移築再現された橋だそうです。場所も完全に同じ場所ではないかも知れない。
ただ、雰囲気は絵画の「アルルの跳ね橋」を髣髴とさせるものがあり、プロバンスの田園風景に素朴に溶け込んでいました。
さて、アルルの市街中心部に入ります。
観光バスの待機ターミナルで下車。
バスプラザの近くに大きなホテルがあり、その名も『HOTEL JULES CESAR』。
筆者には、歴史の教科書の中だけの人物に過ぎない「ジュリアス・シーザー」。 しかもローマ帝国より更に古い 紀元前の「共和制ローマ時代」の人。
それにしても、 紀元前に自国を制圧した「敵」の大将であるシーザーを、21世紀の今も フランス国内でホテルの名に冠して 残していることに 少し驚きます。 長い年月を超えてローマの文化的な影響が濃く強いのだと思いました。ここは多くの国と国境を接する大陸の国。 島国の日本には なかなかわからないことかも。

古都アルルの旧市街を、さらに中心部へと進みます。

途中の商店街には様々な土産物屋が...。
下の写真は、プロバンス地方の伝統的な菓子「カリソン (calisson)」です。

Callison(カリソン) は、南仏プロバンス地方を代表する伝統菓子ということです。
特徴は、
・舟型(アーモンドの葉のような形)
・表面に白いロイヤルアイシング(糖衣)のコーティング
・中身は、アーモンド粉+砂糖+果物 (オレンジやメロン) の砂糖漬け
・食感は、しっとりと柔らかい
だそうです。カリソンは、15世紀ころに ポール・セザンヌの故郷であるエクス市 (アルルから60キロくらいの近い街) で生まれたとか。
さて、ウ”ィンセント・ウ”ァン・ゴッホ ゆかりのエリアに近づきます。
ゴッホが療養していたという、『オテル・デュー病院』 の正面入口です。年代を感じる建て物。
ゴッホの時代から約140年、今も石造りのまま残っている....。 日本だったら残ってないですね。

ゴッホは、ご承知のように、アルルの「黄色い家」で同居しながら創作活動していたゴーギャンと いつしか衝突するようになり、錯乱し、1882年12月 自分の左耳の一部を切り落としたことは よく知られています。 その直後に入院します。その病院が、この「オテル・デュー病院」だとか。
病院の正面扉を入って細い通路を抜けると、目の前に 広い中庭が広がる。
オテル・デュー病院の 療養室の建物 と 中庭 が、「エスパス・ウ”ァン・ゴッホ」という名で、現在はゴッホの記念館になっています。

写真は、ゴッホの代表作の一つである『アルルの病院の中庭』を示しながら説明してくださるツアー・ディレクターの方です。もちろん日本語です。この方は日本在住ですが、フランス語には全然不自由していませんでした。


下の写真の庭は、上の絵画『アルルの病院の中庭』に描かれた庭の、現代に引き継がれた実際の姿です。
フランス人好みの幾何学模様の庭(花壇)ですね。

ゴッホは1888年2月にパリを離れてアルルに移住して来たそうです。
その わずか10か月後には入院に至ったということなのです。このわずかな期間に多くの名画を残したそうです。
ゴッホゆかりの 次の地点 に歩を進めます。
旧市街の街並みを味わいながらです。
ここは、ビグルダン・カマルグという蒸留所のようです。
ジン や パステス を醸造するようです。パステスとは、アニスなどのボタニカルを原料とした蒸留酒系のリキュールで、香草の香りを楽しむものだそうです。

近代絵画も街角に飾る芸術の街。

さて、下の写真です。「フレデリック・ミストラル通り」とあります。

この通りは、アルルに近いマイヤーヌ出身の ノーベル文学賞作家「フレデリック・ミストラル」の名を冠しているらしい。「バーム邸」など歴史的な貴族の館が立ち並んだ由緒ある道だそうです。
標識の左肩にあるライオンの紋章は、アルル市の公式の紋章とのことで、特に市内の歴史的な通りを指す標識に、この紋章が入るようです。
ミストラル通り、石畳で風情があります。

さて広場が見えて来た。ゴッホゆかりの場所に近づきます。

下の写真は、この場所が まさにゴッホが住んでいた時代のアルルの中心部の『(PLACE DU FORUM) フォルム広場』であったことをビルのプラック(表示版)が示しています。そしてゴッホはこの広場の一角にあったカフェを見て、1888年9月頃に 代表作の一つ『夜のカフェテラス』を描いたのだと。

この絵が『夜のカフェテリア』です。

そして、絵のモデルとなったのが、下のカフェ・レストラン だとのこと。似ていますか? 壁が黄色いのは共通していますね。

ゴッホが見て描いたカフェテリアはもう現存していないそうで、今建っているのは、ゴッホの絵の雰囲気から同じ場所に再現したものらしく、「ル・カフェ・ウ”ァン・ゴッホ」という店です。いずれにしてもこの広場は、ゴッホが気に入ってしばしば通っていた場所だったようです。
さて、来たのとは別の道を通ってバスに戻ります。
道の両側の建物がツタでつながった風情のある通り。

下の写真。レンガ色の壁の左側に黒い小さな板が見えます。

拡大しました。

その黒い板の下に、「フィンセント ファン ゴッホ財団アルル はこちら」という案内を書いた白い横長のプレートがあります。
この財団館は、ゴッホと現代アートの交流拠点と位置づけられて、ゴッホの作品を展示しつつ現代アーティストの作品とも対比して展示し、ゴッホの後世への影響を解説している施設だそうです。
さて、バスへの戻り道の写真です。
ゴッホの作品が絵葉書になって売られています。

地元の衣料品を売る店。

ニースからアルルに向かう途中の プロバンスの原野で、数多くの「糸杉」を見ました。
ゴッホは、屋外風景では「糸杉」を特に好んで描いていて、それを描いたり背景に入れた絵を10点以上残しているとのことも書きました。
改めてゴッホの作品『糸杉のある風景』を。これは数多くの糸杉作品のなかでも代表的な『星月夜』です。(ネットからお借りしました)

改めてプロバンスを走る車窓からの糸杉の写真を再掲。 ゴッホが見ていたリアルな糸杉。


長くなりましたので、今日のブログは ここまでとします。
ではまた。