<大阪 その4> プラス京都の桜

 

こんにちは。

 

関西旅行日記の最終編として、3日目の後半と 翌日の最終日について書きます。

 

<その3>で書いた「桜の通り抜け造幣局」のあと、10分ちょっと歩いて藤田美術館に立ち寄りました。

 

藤田美術館は、大阪を代表する実業家である藤田伝三郎の旧邸の日本庭園と、藤田氏の蒐集美術品の展示から成り立っている美術館で、日本では三碗しかない国宝の『曜変天目茶碗』を所蔵している所としても知られています。
藤田伝三郎は、五代友厚らとともに大阪商工会議所を設立し、また、現 関西電力大成建設、さらに JR山陽本線となった鉄道会社など多くの企業を設立した人とのことです。現在は子孫が、その流れを汲んで藤田観光(東京 目白の椿山荘等)などの経営しているとのことです。

 

藤田美術館では、ちょうど「竹」をモチーフとする作品の展示をしていました。

 

竹図屏風(伝 狩野永徳桃山時代

 

竹林七賢図(雪村周継作 室町時代

 

重文 銹絵絵替角皿 (尾形光琳画 江戸時代)

 

藤田家の雛人形

 

庭に出てみました。

 

3日目は ここまでとし、一旦宿に戻って小休止の後、道頓堀・法善寺での旧友とのディナーに出かけました。( 前出の「くいだおれのブログ」です )

 

 

さて次の日、関西旅行の最終日となりました。 
午前中はホテルに近い「梅田スカイビル」の「空中庭園」の展望を楽しむことにしました。

 

行く途中に、最近 何かと話題に上る(電気自動車の)テスラ社 の 屋外展示場がありました。
Model3 ですね。

 

そして、Model 3 の隣に、先日の経済ニュースで その生産工場 (米国 テキサス州) に 日本のTV局のカメラが入った Cuber Truck です。
まるでロボットのような形をしています。 これがトラック??  荷台はどこ??

 

さて、梅田スカイビルに着きました。 

この外観写真 ↑ は、ホームページからお借りしました。

 

梅田スカイビルは、英国 THE TIMES 誌 の「世界の建築トップ20」に選ばれたとのこと。「高い建築技術で、これほどスリルに満ちている高層ビルはない」のが受賞理由とか。

 

空中庭園の入り口は3階にあります。営業開始 9:30の20分ほど前に着きましたが、9:30には、振り返ると外国人ツーリストたちで長蛇の列ができていました。

 

この ”輪っか状の 展望空中庭園” が、スリル満点ということなんでしょうね。

 

上に登って外に出ると、地上173メートルもの高さにもかかわらず、ガラスも無いオープンエアで、本当に素晴らしい開放感と眺望です。しかも360度 遮るものがない。

 

淀川河口から 大阪湾・瀬戸内海方面。

 

神戸・六甲方面。

 

宝塚や京都に向かう JRと私鉄の線路の向こうに 新大阪 さらには丹波山地方面。

 

シースルー・エスカレータ です。

 

空中庭園の眺望を見終わって、いよいよ旅も終盤へ。

 

帰り道の京都で途中下車して、京都御苑 (御所)で、早咲きの糸桜を観ることにしました。
梅田から快速に乗れば、新幹線と遜色ない30分弱で着けます。
昼ころ着いたので、糸桜を楽しむ前にランチです。祇園で「京都すし」をいただくことに。

 

このあと、京都だしのスタンド「だし と うまみ」に寄って、「うすい豆と花びらの すりながし」を味わい、観光の前にデザートもクリア!!

 

 

さて目的地は、近衛邸跡の庭園です。
京都御苑の北辺の「今出川御門」から入って、御苑内を徒歩数分。
ここの糸桜は京都では開花一番乗りと思いますが、ソメイヨシノなど まだ他の場所の桜は咲いていないので、多くの旅行者でが集まっていました。

 

7分咲きから8分咲きで、まだ全然散っておらず、ちょうど見頃で良かったです。

 

天から降り注ぐような美しい樹形をしています。

 

もう一つ、いまTVドラマでやっている「源氏物語」のゆかりの場所を訪ねようと思っていて、渉成園とも考えていましたが、タクシーのドライバーさんに教えてもらった「廬山寺」が、近衛邸跡から近いということで寄ることにしました。

 

廬山寺は、元々は紫式部の曽祖父である藤原兼輔が建てた邸宅であったということで、紫式部が住み源氏物語を執筆した地だそうです。

 

廬山寺の庭園は「源氏庭」と呼ばれていて白砂と苔の庭です。
派手さはありませんが、とてもいいです。
座って眺めているだけで時を忘れます。

 

ふと時計を見たら、京都駅の新幹線出発時刻まで 余すところ1時間ちょっと。
あと15分 庭に浸っていたかったけれども、タイムアップです!

 

今回の関西旅行はこれまでです。

ではまた。

<大阪その3> 桜の通り抜けの造幣局

 

こんにちは。

 

前回の投稿から日にちが空いてしまいましたが、関西旅行記の続きです。

 

アドベンチャーワールドに行った翌日(旅行3日目)に、大阪造幣局を訪問しました。
造幣局を旅の訪問地に選んだ理由は二つです。
第1には、有名な『🌸桜の通り抜け 』の現地を見たかったこと。今年は開花が遅れて結果的に早すぎたことは、旅行出発の2週間以上前には既にわかっていましたが、それでも予定通り行きました。
第2に、「明治維新」という日本の近代化に大きく関わる金融システムの基礎となった施設を見たかったこと、があります。

 

150年以上経った令和の最近でも、テレビなどで幕末や明治維新の前後を取り扱ったドラマやノンフィクションの放送は意外に多く、武家の時代 や 幕藩体制をリセットして革命にも似た明治維新当時の「大混乱」をどうやって収束したのか、現代社会の出発点となった時代だけに興味がありました。

 

さて、造幣局に入ります。  常時公開されている「造幣博物館」が内部にあります。

 

正門です。

 

毎年の 桜通り抜けの開放日は、開花時期に合わせて年ごとに小刻みに調整されホームページから申し込むようです。これは入口付近の電子サイネージ。  惜しかったなぁ!

 

正門脇に守衛所があり、4人くらいの守衛さんが厳重に入場を見張っておられます。

 

許可を得て入ると、早速、桜の名所を告げるレリーフが....。 ガタイが良く真面目な表情の守衛さんに声を掛けられた直後でもあったので、桜の名所の表示を見てホッとしました。(笑)

 

ここは明治初期から桜で有名だったらしく、その時の造幣局長が発案し、 明治16年 (1883年)から通り抜け公開が始まったとのことです。粋な局長さんですね。

 

ちなみに構内の桜の種類は なんと! 141 品種もあり、340本が植えられているとのこと。

 

少し進むと、キャッチコピーとも言うべき『大阪に 花の里あり 通り抜け』の句碑が。
これは、著名な川柳作家であり 川柳史研究家でもある ”本田 渓花坊” 氏の句だとか。

 

目の前に由緒ありそうな桜の木が....。 兼六園の桜と同じ品種の「菊桜」とか。
開花はまだまだ先ですね。

 

おっ!早咲きの「糸桜 (しだれ桜)」だけが咲いて、出迎えてくれました。

 

 

写真左下の道が、通り抜けの道です。 造幣博物館も見えてきました。

 

右手に「明治天皇聖蠋」の石碑が。 聖蠋とは 訪問という意味だそうです。
調べると明治天皇は明治5年(操業開始早々)と 明治10年の2回 ここを訪れたそうで、注目ぶりが伺えます。この碑は 明治5年の来訪を記念してとか。

 

博物館の手前の屋外に、創業当時の圧印機が展示してあります。本物だそうです。

ちなみに、この造幣局では 紙幣は扱わず「貨幣」の製造所であるとのことです。
明治初期の創業当時は、まだ「金貨」「銀貨」が当たり前に存在し、通貨における 高い品質や 製造の均質性を厳密に管理することは、一国の通貨システムの正当性と権威を保つため、また欧米から「国」と認めてもらうためにも、非常に重要だったと (この後の博物館展示で) 記されています。

 

造幣博物館です。

 

中に入ると敷地全体のジオラマが展示されていました。
製造工場群だけでなく、数多くの管理棟や 技術開発棟、従業員施設などから成り立っている大きな施設であることがわかります。

 

さて2階の展示室へ。展示室のエントランスには、造幣局創設に貢献した歴史上の要人のレリーフが何枚もありました。
これは「五代友厚」です。

 

明治新政府の 金融システム・通貨制度確立・造幣局の創設開業に多大に貢献したのは、大隈重信五代友厚渋沢栄一らだったと展示が伝えていました。
明治維新発足直後は全てが混乱だらけで、国の経済の基盤である通貨についてはまだ徳川幕藩時代の各地方の「藩札」や、度重なる改鋳で粗悪化した金銀銅貨の流通を継続せざるを得ず、そのため、各種通貨間の交換比率が複雑化し、また偽造金貨 や 偽の紙幣も横行するなど通貨制度は混乱をきわめたそうです。
これでは国の経済や予算、流通に信用も権威も保てず、外国との間でも正当な交易は無理で、日本は前近代的な古い国として諸外国からみくびられていたと記されています。

 

当時の造幣用の圧印機の模型です。(縮尺 5分の1)

 

古い時代や江戸期も含め、様々な貨幣の展示もありました。
下の写真は操業開始ごく初期の明治4年に鋳造されたという「1円金貨幣」です。
(ホームページからお借りしました)

 

造幣局は貨幣の製造だけでなく、オリンピックなどのメダルも作っているそうですが、全然知りませんでした。
今は懐かしい第18回五輪「東京大会」の 金銀銅メダルの展示もありました。
この絵柄、ぼんやりと覚えています。(笑)

 

長野冬季五輪のメダル。

 

先の 2020東京五輪
2年半前のオリンピックの金メダルを、映像も含めて真近で見たことはなかった。

 

また、造幣局には彫金や紬薬焼成などの加飾技術や、その複製量産する技術も揃っているそうで、装飾や美術品、叙勲用のメダルなどの展示も多くありました。

 

博物館から出て、再び 通り抜けの道へ。八重紅大島などの蕾はまだ固いです。
下の写真の桜ですが、枝がUの字に曲がって不思議な造形です。

 

箒桜 や 衣笠 も、出番はまだ先のよう。

 

せっかく来たので、通り抜けの雰囲気を味わおうと、ホームページから満開時の写真をお借りしました。

いつかまたチャンスがあれば来たい。

 

造幣局を出て 大きな橋を渡りました。
淀川(大川)です。東京でも江戸期は隅田川が大川と呼ばれたそうですが、大阪も淀川を大川と呼ぶのですね。

 

振り返ると、さきほど訪れた造幣局の建物が見えます。
このあと、ここから近い藤田美術館に向かいます。

 

旅はまだ続きますが、今日はひとまずこのあたりで。

くいだおれの町 大阪

こんにちは。

 

今日は関西旅行の目的の一つ、大阪の「くいだおれ」のお店をレポートします。

 

旅行二日目のアドベンチャーワールドから大阪に戻って、この日は「粉もん」を食べたいと目論んでいました。
粉もんと言っても、たこ焼き、お好み焼き、うどん、焼きそば と色々ありますが、まず大阪特有の「ねぎ焼き」の店を狙っていて、ちょうど泊っている梅田駅チカに、専門店の『ねぎ焼き やまもと』があることがわかりました。
白浜からの電車を降りて、複雑な大阪駅周辺の路地をスマホ案内片手に手探りで辿ってきたら、ディープな雰囲気の飲食街に出て、目当て店の看板前に到達!
なかなか いい雰囲気です。

 

電車の関係で開店の約30分後の到着になり、仕事帰りとおぼしき人々で店外に行列ができています。(今夜はちょっと肌寒い!)

 

ネギ焼きをあてに生ビールでも飲んだら、なかなか行けそうです....。

 

15分ほど待って案内されました。
早速、人気No.1の「すじねぎ (焼き)」と、お好み焼きの 「デラックス玉」を注文。

 

「すじねぎ」は、甘辛く味付けした牛すじ肉を 生地の上にたっぷり乗せ、更にその上からネギを山盛りどっとかけて また上から生地を乗せて焼き、ソースをジュっとかけてアツアツを頂きます。
「デラックス玉」は お好み焼きで、いか・牛肉・豚肉 がたっぷりと入っていました。
大鉄板台を矩形に囲んだ形のカウンター席に座ったので、1メートルほど前の専用焼き台で 手慣れたお姉さんが焼いてくれて、客の前の温めた鉄板の上に置いてくれます。

 

 

 

早速ヘラで取り分けて、アツアツをいただきました。
う~ん、なかなかです! すじ肉とネギがいい塩梅のハーモニー!

このあと、オム(焼き)そばも頼みましたが、写真にとってません。

 

次の日 関西3日目は、大阪造幣局桜の通り抜けの名所〉に行きましたが、それは別にレポートするとして、そこを見学後、初日にクリアできなかったバッテラ寿司に再チャレンジということで、押し寿司の名店というところに行ってみました。
場所は、淡路町淀屋橋駅の近くです。
このあたりは昔、「船場」と呼ばれていて、江戸期の町人文化の中心地であったとのことですが、今はすっかりビジネス街になっています。
製薬会社の本社や その大阪支社、また金融機関も多い。  早咲きの桜が咲いていました。

 

吉野鯗 (よしのすし) という店です。

 

押し寿司の一種である「バッテラ」があるか尋ねてみましたが、あいにくメニューになかっので、この店の代表的な箱寿司をオーダー。

 

 

焼き活穴子、厚焼き玉子、活小鯛、海老 をすし飯の上にのせ、箱で押して作った寿司です。握ってすぐに食す「江戸前 握り」とは異なり、お弁当の用途などに一定時間の風味の維持が効く製法です。具とすし飯が なじんだ風味で、やさしくおなかに入ってきます。

 

 

今回のブログは「くいだおれ」に集中!
次々に登場ですが、もう デザート タイム。
船場からの帰りに、友人と約束したディナーまで かなり時間があったので、ホテルの近くに戻り、関西の「生絞りモンブラン」に挑戦!
梅田地下街「ホワイティー」の中にあるデザート喫茶の「モンテ・ブランコ」です。
名物は、『絞りたて*モンブラン』とのこと。

 

この店では モンブラン クリームを絞っているところを目の前で実演してくれます。

 

『絞りたて*モンブランは、くり、いも、かぼちゃ、抹茶、ほうじ茶、ナッツ などが入って、おかわり自由の珈琲が付いて、990円也 でした。

 

 

さて、今夜のディナーは「大阪の串揚げ」にトライすることにしていて、高校時代の同級生で医者の友人と、道頓堀の法善寺で待ち合わせしています。
その友人は高齢者施設の訪問医をやっていて、父の最期を看取ってくれた人でもあります。

 

さっそく、道頓堀へGO!
地下鉄御堂筋線なんば駅を降りて、7, 8分歩けば ミナミの中心、道頓堀です。

 

ご存じのように道頓堀は、大阪一 賑やかと言われる飲食店街です。
阪神タイガースが優勝すると、ファンが川に飛び込む場所としても知られています。
川を、ちょうどクルーズ船が通りかかりました。

 

そして、この飲食店街は、ド派手な看板が立ち並んでいることでも有名。
名物看板を写真でいくつか撮りました。

 

 

 

あいにく小雨が降っていましたが、それでも大変な人出・人出・人出です。外国人も多い。

 

そして、いよいよ大阪でもディープな道頓堀界隈で 一段とディープな「法善寺横丁」へ。

 

この法善寺横丁は、古くからドラマや芝居になっている『夫婦善哉』の舞台となり、わりあい最近でも 妻夫木聡深津絵里の「スローダンス」や、東山紀之京野ことみの「喰いタン2」のロケ地にもなったそうです。

 

京都の先斗町にちょっと似た雰囲気。

 

では中に入ってみましょう。

 

どの店も、一度入ってみたくなるくらい情緒たっぷり。

 

通り抜けて、反対側から出ました。

 

さらに次の通りへ進みます。

 

そして法善寺の守り神とも言える「水掛不動尊」です。外国人はじめ多くの観光客が雰囲気を楽しんでいます。

 

水掛不動尊の近くの、友人との約束のディナーの場所に着きました。
ここ、串揚げ専門店の「串の坊 本店」。

 

店の外からも串焼きのメニュー内容が見えます。

 

今宵も、「くいだおれ」をたっぷり味わいたいと思います。

 

ではまた.....。

アドベンチャー・ワールド

 

こんにちは。

 

関西旅行の二日目は、和歌山・白浜の アドベンチャーワールドを訪ねました。

 

大阪からなので、電車で大阪駅からJR「きのくに線」の 特急くろしお号に乗ります。

 

「くろしお」のホームは、できて まだ間がないようで、 階段や内装、ホーム表示パネルも非常に新しいものでしたが、このホーム(21番線)に辿り着くのに非常に骨が折れました。

 

この、きのくに線の「特急くろしお号」(和歌山・白浜 方面)と、「特急はるか号」(関西空港方面)は、去年まで、大阪府内では 天王寺駅と (新幹線の) 新大阪駅の間はノンストップでしたが、去年(2023年) の春から 途中にある (梅田の) 大阪駅に停車するようになり、それに先立って大阪駅の「うめきたエリア」に地下ホームを新たに増設していました。しかしながらこの新ホームは、駅のコンコースと接続のない かなり離れた場所にあり、探すのに一苦労です。
宿泊しているホテルが 大阪駅の南東側の出口 (阪急うめだ本店あたり) から出たところであったため、大阪駅構内の対角線側の北西端の、メインコンコースとは別の場所に盲腸のように増設された21番線ホームに辿り着くのに、優に15分以上かかってしまいました。
そうでなくても、この大阪駅は、JRだけで6路線を扱っているだけでなく、私鉄の梅田駅と混然と一体となっていて、私鉄も阪急が3路線、阪神が1路線、地下鉄が2路線乗り入れているに加えて、更に地下道が一体となった徒歩数分の距離で、東梅田駅西梅田駅北新地駅と3駅が至近にあって、それぞれJR東西線や 別の2つの地下鉄が乗り入れているという複雑極まりない構造です。東京では渋谷駅が かなり複雑ですが、その倍以上に複雑という印象でした。

 

従兄妹に聞くと、大阪に住んでいても、通勤通学で毎日使うルート以外は、ほとんどの人が迷うと思うと言っていました。

 

さて、鉄道や駅の話だけに、アドベンチャーワールドの話から「脱線」してしまいましたが、話をもとに戻します。

特急くろしおが入線して来て乗車。 ようやく白浜駅に着きました。

 

電車から降りたら、子ども達が写真を撮っています。この「くろしお号」、ZOOのムード満点のラッピング車体です。

 

 

電車を降りたら、目的地まで専用バス。こちらもラッピング車体。

 

バスに10分ほど乗って、アドベンチャーワールドに着きました。

春休み中なのに、意外なほど空いています。

 

下の図が園の全体像です。
パンダは、図の中で赤く囲った「パンダ ラブ」と「ブリーディングセンター」に居ます。
時間があれば、ビッグオーシャン(青〇)にも行ってみたいと。

 

 

このワールドには、楓浜、結浜、良浜、彩浜 と、全部で4頭居ると聞いています。
2か所に2頭ずつのようです。今日は姿を見せてくれるかな?

 

先ず近い PANDA LOVE に GO!

 

PANDA LOVE に入ると、楓浜のパネルがあります。まだ若い、3歳数か月です。

 

いました、いました!
完全には眠っていないようですが、横になって休んでいます。あまり動かないですね。
結構近くで見ることができます。間にガラスも無いし。

 

もう一頭の「結浜」は、PANDA LOVE 内の 屋外に出ていました。
こちらも寝ています。ぽかぽか陽気で眠くなったか?

 

PANDA LOVE を 観終わって、ランチの後、ブリーディング センターは最後に回して、先にイルカのショーを観ることにしました。

 

ビッグオーシャンへ。  下の場内全景写真はホームページからお借りしました。

 

ショーの開始まで待つ間、ビッグオーシャンの向こうに機影が見えました。
南紀白浜空港が、すぐそばにあったのですね。
飛行機は、これから(たぶん羽田に向けて)滑走・離陸するようです。

スマホで調べたら、JALが羽田ー白浜間を 1日に3往復 運航しています。
片道飛行1時間ちょっとで、空港からアドベンチャーワールドまでバスで5分だし、その気になれば東京からでも日帰りでもパンダを観に来れるのは、パンダ好きの人には嬉しい距離かも。

 

さて、イルカのショーが始まりました!

1時間ほど、イルカの華麗なジャンプや トレーナーさんと演技遊泳を観ました。
昔 息子を連れてSEA WORLD に2、3度 行きました。今回のショーの内容は、以前のような凝った難しいパフォーマンスは無く、穏やかな内容でした。イルカの訓練に対して国際的な批判もあって、そのあたりが反映されてでしょうか。

 

さて、二つ目のパンダ舎「ブリーディング センター」に向かいました。

 

良浜のパネルがある。良浜は23歳を超えたベテランです。
これまで既に10頭を出産したとか..。2年前に中国に戻った永明とともに、日本でのパンダの繁殖に大いに貢献しました。白浜の風土や飼育員さん達の努力が、パンダの生活習慣と合っていたのでしょうか。

 

良浜は、今日は よく動き回って楽しませてくれました。

( ↑ パンダと観客の距離感がすごいです。へだてる柵らしい柵も無し)

 

私たちの前で 十数分ほど 屋外の小さなフィールドを何周か歩き回ったあと、夜間に入る舎の入り口付近にどっかりと座り込んで 笹を食べ始めました。

 

笹を食べる その仕草がとても愛らしく、時間を忘れて一か所にずっと立ち止まって、一時間ほども見てしまいました。

 

見ながら我に返って改めて周りを観察すると、ここで良浜を見ている観客は 常時10人ほどしかいません。上野だったら、パンダ舎に入る前に長蛇の列、入口まで少なくとも30分は待ち、舎内に入ったら入ったで「決して立ち止まらないでください!」の アナウンスがひっきりなしに流れているかも知れない。1時間もじっと立ち止まって見ているような状況は想像できない...。

 

また、ここでは、園の係員さんの姿も 誰一人として全く姿を見かけませんでした。もちろん監視カメラがパンダや周囲の通路を捉えていて、センターでモニターしてはいるでしょうが、それはそれとして、パンダも観客も「あるがまま」というのも非常に良かったです。
自然に近い岩や植生がある屋外で、間に (堀はあるものの) 遮る柵やガラスもなく、観客の混雑や騒音もほとんどない環境で飼育・観察できるというのは大いにプラスの点ですね。

 

同じブリーディング センターの中の別の区画に、最後の4頭目の彩浜 (5歳半) がいました。

 

彩浜はお昼寝中で、微動もしてくれませんでした。

 

4頭のパンダの姿を堪能して大阪に戻ります。

 

ではまた。

関西に旅行(大阪 その1)

 

こんにちは。

 

先週、春休みを利用して 週末にかけて関西へ旅行して来ました。
主な目的は、関西在住の 従兄妹や 学生時代の友人に会うためですが、同時に大阪市内を中心に、白浜(南紀 アドベンチャーワールド)、京都 なども訪ねました。

 

3, 4回に分けて、旅日記を掲載します。
第1回は 大阪(その1)です。

 

 新幹線で新大阪経由で、昼前にJR大阪駅を降りて駅近くのホテルに荷物を置いたあと、まず天満に向かいました。少し前にTVドラマ『あきない世傳 金と銀』(主演 小芝風花)を観ていたので、その想定舞台としている天神橋筋商店街大阪天満宮の 商人の町の雰囲気を味わいたいと思ったためです。天満は大阪城に近いので、セットで午後の数時間を過ごすのに丁度良いと選びました。

 

 

写真は菅原道真を祀る大阪天満宮です。

 

現在の天神橋筋の商店街からは、江戸中期の呉服屋街の雰囲気はなかなか推し量ることはできませんでしたが、天満宮の造営は江戸時代のものということで、周辺の街路の構造とともにその時代の雰囲気を少し感じることができました。

 

休憩がてら商店街のお寿司屋さんでランチをいただいた後、次に大阪城に向かいました。

 

見えて来ました。豊臣秀吉の全国統一を象徴するだけあって、江戸城にも劣らない大きなスケールで、内堀も幅が広くて深いです。

 

大手門の「大手口多聞櫓」を入ると、巨大な岩石で形づくられている城壁に圧倒されます。

 

下の写真で 案内パネルの後ろに聳える石は、一つの石としては 日本の城で最も大きいとされ「蛸石(たこいし)」と呼ばれていて、なんと 幅11.7m、高さ5.5mで 重量が 130トンあるそうです。
この巨石が、どこから どのように運ばれて来たのかが 常に関心を呼んできたが、瀬戸内海の小豆島から切り出され、海上は「たる船」で、川では筏 (いかだ) で運んだとされているようです。

 

 

 

 

入場券売り場で30分ほど並びましたが、待っている観光客の95%は外国人でした。相変わらずインバウンド客が非常に多いです。一昨年頃までは中国の人たちが多いと感じましたが、去年あたりから、白人・インド系・中南米からの人たちで多くを占めていると見受けます。

 

さて現在の天守閣は、江戸時代の初期に落雷で焼けたものを昭和6年に復興されたものだそうです。
内部には、エレベーターが装備されていて5階までは楽に上がれます。(展望台は8階)

 

 

丁度、秀吉の正室であった「おね」にゆかりの展示もありました。
写真には納めませんでしたが、秀吉没後も家康や朝廷を相手に影響を及ぼしたおねの政治力に改めて感嘆しました。

 

エレベータで5階まで上がった後、階段で8階の展望台へ。
大阪城公園は官庁街に隣接していて、大阪府庁、警察本部、NHK大阪局 などが見えます。
金の鯱が、派手だった秀吉の時代を感じさせます。

 

天守閣の7階から下の階は、大阪城にまつわる品々や 秀吉の時代の解説パネルが展示されています。

 

先ず「黄金の茶室」。(復元品)

筆者もよく知らなかったのですが、この「黄金の茶室」は かなり小ぶりで、組み立て&解体が簡単にできる「持ち運び ポータブル式」になっています。(ポータブル茶室!)
秀吉はこれを、京都の御所や 朝鮮出兵の拠点となった名護屋 (なごや) 城(現在の佐賀県唐津市)に持ち込んで茶会をしたとされています。栄華を極めた秀吉らしい逸話です。

 

 

 

 

観終わって天守閣を出て来ました。
目の前に「金明水井戸」がありました。(重要文化財

 

金明水井戸の「井戸枠」は、巨大な一枚岩をくり抜いて作られたそうです。
かつ、この井戸は、秀吉が水を清めるために、井戸に黄金を多数沈めたという伝承が残されているとのことです。秀吉の権勢、思い入れ、淀殿と秀頼時代の大阪の陣の熾烈な戦いに、思いを馳せてしまう大阪城見学でした。

 

 

夜は、従兄妹 二人(ともに年下)と、梅田のレストランで食事をしました。
いとことは、昨年に叔母の葬儀で顔を合わせましたが、ゆっくり話すのは、実に約40年ぶりでした。一人は整形外科医、もう一人は 小中高生に 英数国を教える塾をやっているということで、すっかり立派になっていましたが、幼少期の懐かしい思い出話に花が咲きました。

 

 

旅日記は まだ続きます。

 

ではまた。

パソコンを新調しました

 

こんにちは。

 

先日、自宅のパソコンを新調しました。
これまで使っていたものが、急に内蔵ファンが常時回ってギーギー異音を出すようになり、コールセンターに連絡して遠隔診断して貰いましたが、( ハードウェア問題と思われるため、当たり前といえば当たり前ですが)修理に出して貰うしかないですね、と宣告されたためです。

 

メーカー保証4年を付加していましたが、不運にも4年と2か月で本トラブルに見舞われ、推定修理費用がコールセンター曰く「5万円前後」、販売店の推定では 一声「10万円近く」と言われてしまったので、他にも使い勝手で若干 モノ足りなさがあって、見積もりにも出さず思い切って買い換えることにしました。

 

不調となったパソコンは米国のD社製でした。不要なソフトウェアがバンドルされていなくて割安で、世界でも有数のコンピュータメーカのD社ならば大きな間違いはないと当時考えて選択しました。 たまたま個体差ということもあったでしょうが、想定外に短い寿命でした。

 

さて最近のPCスペックなどについて下調べをしてから量販店へ。
今回は、国産メーカにしました。組み立ては海外の工場だと思いますが、設計と品質保証基準の点で、今回は日本メーカーを選ぶことにしました。

 

現役時代に関連があった〇〇社の機種から選定することにしました。
店頭で説明パネルを見ながら、また販売員さんの説明も受けながら、改めて量販価格を決めている要因を再認識しました。

 

①海外メーカーは、外部ポートなどのオプションがシンプルで、バンドルソフトも絞っている点で国内PCより廉価なものが多い
②国内の同じメーカで性能が同等でも、採用するCPUチップのメーカーによって、数万円以上の価格差がある

 

〇〇社製パソコンで、CPUが、Intel Core i7 内蔵品と、AMDRyzen7内蔵品を比べると、7万円以上の開きがありました。ストレージの容量、ワークメモリの容量、マイクロソフトOfficeの組み込みソフトは全く同じで、Displayサイズが僅かに0.5インチほどしか違わないのに、インテル搭載のほうが7万円以上高い設定です。

 

筆者は若い頃に電子機器の開発技術者をしていて、職場内ではCPUを組み込んだ装置の設計で、インテル製もAMD製も、用途や入手の需給状況によっては、どちらも採用していました。
AMDは昔からインテルのセカンドソースとして著名でした。同等の互換品では、性能に違いはほぼありません。AMDのほうが調達価格が少し安かった記憶がありますが、それでも1割程度だった思います。品質面でもAMD製が劣っているという評価はありませんでした。

 

にも関わらず、パソコンの末端価格では、市場評価で7万円以上の差がついているとは改めて驚きです。7万円違うと、パソコン全体では優に3割程度の価格差になります。CPUチップ単体の調達価格差は、そこまで無いと思います。インテル搭載品は、製品全体でもマージンを上乗せできるのですね。 販売員さんに価格差の原因を念のため聞くと、「CPUメーカーの名前の違いです」と。
インテル半導体CPUの創業者とも言うべき名門です。そのインテルへの一般の消費者や学生への知名度というか信仰は、今も根強いのでしょうかね? ブランドイメージの影響力は大きいです。

 

一方のAMD社の半導体CPUベンダーとしての力はどうでしょうか? 

AMDは、最近ではパソコン向けのみならず、AI(人工知能)向けサーバーへのチップ供給でも存在感を発揮しています。AI用のチップでは エヌビディアが世界の先頭を走っていますが、インテルはAI向けチップでは出遅れており、AMDの方がむしろ健闘しています。

AMD社の年間売上高は日本円換算で3兆円を超えており、創業55年となる、れっきとした大手半導体企業になっています。

 

筆者は、予算と実質的なコストパフォーマンスの点で、迷わずAMD製のCPUを搭載したPCを選びました。

販売員さんと プラスマイナス含めて色々話し合った上で、「販売員さん自身が買うとしたら、どれにしますか?」と訊くと、「〇〇社は、今年の ”春休み商戦” では、筆者の選んだPCを一押しに位置付けています」と言っていました。 ヨイショの営業トークかも知れませんが、それなら、まぁ大丈夫でしょう。
更に、今回は5年のメーカ保証を付けました。

 

〇〇社の「5年メーカー保証」は、コーヒーをこぼしたとか、落下させて壊したとかいうユーザー責任の場合でも、完全に修理するか新品に交換するという内容だったので、保険と思って入りました。
壊れなかった場合のパソコンの実用的な賞味期限は、6,7年というところですよね。5年以内に故障するとは想定していませんが、壊れた場合は痛手ですから一応入りました。

 

このブログは新しいPCで書いていますが、サクサク使えています。丈夫で長持ちしてほしいです。

 

ではまた。

(東博) 中尊寺金色堂展 と (静嘉堂) 雛人形展

 

こんにちは。

 

先日、博物館をはしごして、東京国立博物館の「中尊寺金色堂展」 と、 静嘉堂@丸の内の 「岩崎家のお雛さま」を観てきました。

 

まずは、東博中尊寺金色堂展です。

 

 

この展示は、中尊寺金色堂の中央の須弥壇に安置されている国宝の仏像11体と、金色堂に付帯する多数の工芸品を現地から持ってきて展示しているものです。

 

上野へGO!
知らなかったのですが、2023年は、上野恩賜公園の開園150周年だったのですね。
駅からの園内舗道には バナー幟がはためいていました。

 

季節はちょうど、ピンクの桃の花が見ごろとなっています。

 

朝の10時過ぎに東博の本館前へ。混雑を心配していましたが、チケットを買うのに数分並びましたが、買った後は並ばずに展示室に入ることができました。

 

実際の中尊寺には十年あまり前に行ったことがありますが、特別展示室のエントランスは、中尊寺の堂内に入るかような 厳かな雰囲気に設えてあります。

 

室内は、かなり混んでいました。 どの展示品の前も、前後の2列になって進んで行く感じです。
国宝実物は、すべて撮影禁止となっています。

 

メインは国宝の仏像11体ですが、撮影禁止なので、パンフレット裏面の写真をお借りしてここに掲載します。

 

仏像は、意外に小さいです。台座に乗っていても、人の背丈もないくらいです。
実際行った金色堂も、大きな建物ではなかった印象でした。1124年の建立と伝えられているので今年で丁度 900年! よくぞ2024年まで900年も残ってくれたものです!!
平泉では、今は金色堂を風化や損傷から保護するためのコンクリートの覆堂で守られています。

 

さて、仏像や国宝級の工芸品を観終わったあと、金色堂の模型のコーナーがありました。
大きさは、幅が3~4メートルくらいでしょうか? この模型だけは撮影が許可されていました。

 

(再放送かも知れませんが)  3月4日にNHK-TVで「中尊寺金色堂 デジタルで解き明かす900年の謎」というのをやっていて録画していたので、改めて観ました。
番組の中で研究者達が言っていましたが、仏像もさることながら、金色堂の大きな見どころは「須弥壇」(仏像を安置している 一段高くなった ”壇(台座)”)と「巻柱」の装飾における極めて高い芸術性にあると言っていましたが、そこに施されている螺鈿細工と蒔絵は本当に素晴らしく、同感に思います。

 

そうは言っても、当たり前ではありますが、須弥壇や巻柱は金色堂の構造物でもあるので、さすがに解体して平泉から東京まで持ってくることはできません。そこで、巻柱については、東博ではレプリカを用意し、雰囲気づくりの柱として展示室内のフロアーに立てる工夫をしていました。

 

現実の巻柱には菩薩が描かれていて荘厳かつ優美で、京都などを含めても他の寺社ではあまり見かけないものだと思います。

 

さて、観終わって出てきました。

 

入った時間とは違って、本館の入り口には、展示に入るための長い列ができていました。
多少早めに来て良かったと思いました。

 

 

次に、東京駅に向かいました。
静嘉堂美術館@丸の内での、岩崎家の雛人形 の展示を観るためです。

 

早速 展示室内へ。
内裏雛です。

 

おなじみの三人官女と、その向こうに仕丁です。

 

これは、立雛 (次郎左衛門頭) というそうです。

 

 

白綸子地打掛 と 赤綸子地打掛 です。(いずれもミニチュア)

 

 

休憩室ホールに至る展示室には、雛人形とは無関係ですが「色絵吉野山図茶壷」が展示されていました。常設なのでしょう。これも、いつ見ても見事です。

 

また、今回も、順路の最後の展示室には この美術館の 象徴的な所蔵品である「曜変天目茶碗」が展示されていました。不思議に吸い込まれますね。

 

ではまた。