三たび錦秋の古都へ(その2:洛北)

 

こんにちは。

 

名残の紅葉鑑賞の旅、2日目です。

 

2日目は、 朝一番で曼珠院門跡に行きました。ここも、昨夜の食事処のマスターから紹介していただいた寺院です。
場所的には 洛北、東山通りの北方で、銀閣寺の2,3km北、先日訪れた修学院離宮の近くです。
ホテル近くからバスに乗り、一乗寺清水町というところで降りて、そこから徒歩15分ほど。

 

曼殊院門跡は、延暦年間(700年代)、伝教大師最澄により鎮護国家の道場として比叡の地に創建された寺院が曼殊院のはじまりとされています。
「門跡」というのは、皇室一門の人が住職であったことを意味するそうです。門跡の意味を初めて知りました。春は霧島ツツジ、秋は紅葉の名所とされているようです。

 

 

寺門へのアプローチの道も紅葉に彩られています。

 

入場口早々に庫裏となっています。立派な庫裏です。

 

書院の南側には、小堀遠州の作庭と伝えられる枯山水庭園が広がっています。
深山と水を表現しているそうです。国の名勝に指定されているとのことです。

 

そう言えば、昨日も 二条城の二之丸庭園で、「小堀遠州」という名を目にしました。

 

ネットで見てみると、遠州は 近江・小室藩主(1万2千石) で江戸初期の大名で茶人だそうです。千利休古田織部と続いた茶道の本流を受け継ぎ、徳川将軍家の茶道指南役となったと。
また作事奉行(殿舎の建築の責任者)として、桂離宮、仙洞御所、二条城、名古屋城などの建築・造園にも才能を発揮し、大徳寺孤篷庵、南禅寺金地院なども代表的な庭園である、とあります。
ついでですが、古田織部の名も 桂離宮織部灯籠の考案者として目にした記憶があります。安土桃山から江戸初期にかけて、利休・織部遠州が 茶道と日本庭園の文化を創り、発展させたのですね。

 

こちらの枯庭園も落ち着いたたたずまいでした。

 

閑散期に訪れると、もっとゆっくりと味わえる寺院と感じました。

 

 

次に曼殊院に近い「圓光寺」を訪れました。その間 徒歩6分ほどです。

 

この寺院は 晩秋の季節、非常に人気の高い名所で、事前予約が要ります。

 

圓光寺は、江戸幕府が開かれる直前の慶長6年(1601年)に、徳川家康が国内教学の発展を図るために伏見に圓光寺を建立し学校としたのが始まりだそうです。その後現在地に移転したそうです。圓光寺学校では、教育以外に多くの学問書の刊行も行ったとか。
幕府を開く前から、武家や僧侶の教育の基礎づくりに早くも着手していた家康の慧眼に驚愕します。こういった教育の継続が、幕末期に日本が植民地となるのを免れた一つの要因になったのかも知れません。教育は大切ですね。(個人的な感想です)

 

 

広間の造作越しに眺める紅葉の庭が、額縁庭園として人気が高いようです。

 

多くの参拝者で賑わっています。

 

 

 

本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。