三たび錦秋の古都へ(その3:嵐山)

 

こんにちは。

 

古都の錦秋を愛でる旅、その3(嵐山)です。

 

三日目は、嵐山方面に行きました。
渡月橋の写真を撮り忘れてしまいましたが、保津川の流れにたたずむ白鷺です。

 

最初に目指すは宝厳院です。

 

渡月橋の南岸から、そのまま保津川沿いに小倉山の方角に向かって歩きます。
小倉山は、藤原定家が「小倉百人一首」を編纂した山荘 (時雨亭) があった場所としても知られています。
小倉百人一首は、今から 800年近く前の1235年頃に編纂されたそうですが、そのような、800年も前の由緒ある場所に、嵐山から徒歩10数分で 時間を越えて行けるのは不思議な感じがします。

 

時雨亭が実際に存在していた場所は完全には特定できていないそうですが、昭和10年代には国文学者の考証がほぼ出揃い、『定家の造営せる小倉山山荘跡は常寂光寺仁王門北、
即ち二尊院南にして、厭離庵近辺は定家の子 為家の住みし中院山荘跡なりとする意見が
大勢を占めるに至る。』・・・・・と記されているそうです。

 

常寂光寺には、宝厳院の後に行きます。

 

保津川沿いに、懐石料理で有名なお店の正門がありました。興味深いですが、ナカナカ入る機会はありませんね。

 

 

宝厳院に着きました。

 

宝厳院は、先日11月21日に放映された「生中継 京都 嵯峨嵐山 ~錦秋の紅葉狩り~」(NHK)の会場として紹介されました。後ほど訪れる天龍寺の 一塔頭寺院です。

 

この塔頭は、室町時代細川頼之公の資金にて、聖仲永光禅師を開山に迎え創建されたそうです。
境内の庭園は室町時代の禅僧策彦周良禅師によって作庭されたと伝えられています。
獅子岩」等の巨岩を配し嵐山を借景とした 借景回遊式庭園の美しさでも知られているようです。

 

 

山門から庭園に至るまでの通路でさえも、塀に降り注いだもみじが風情を醸し出しています。

 

 

「獅子吼の庭」です。
「獅子吼」とは「仏が説法する」の意味で、庭園内を散策し、鳥の声、風の音を聴く事によって、人生の心理、正道を肌で感じ、心が癒されるという意味だそうです。

 

 

 

緑の苔と 赤いもみじのコントラストが見事です。

 

 

次に、天龍寺を訪れました。
天龍寺足利尊氏を開基とし、夢窓疎石を開山として、後醍醐天皇の菩提を弔うため暦応2年(1339)に創建されたそうです。

 

 

境内の大方丈に対面して造営された「曹源池」です。
約700年前の夢窓国師作庭当時の面影をとどめており、わが国最初の史跡・特別名勝指定とか。
その曹源池を巡るように池泉回遊式庭園が設けられており、大堰川を隔てた嵐山や庭園西に位置する亀山を取り込んだという借景が見事です。

 

 

 

 

最後に、常寂光寺を訪問しました。
常寂光寺は、慶長年間(1596〜1614)に 究竟院日禛上人により開創され、本堂は、開創から ほどなく小早川秀秋公の助力を得て伏見桃山城客殿を移築し造営されたものだそうです。

 

 

この長い階段を上がりつつ、山を見上げては紅葉が美しく、麓を振り返って また紅葉が美しいと言う趣旨の紹介が、上述の番組でされていました。

 

 

 

常寂光寺をあとにして、多くの人に人気のある竹林散策道です。

 

ここから先は、小倉山かいわいの普通の道を歩いて見た景色です。
南天の実が美しいです。この時期 京都市内のどこに行っても、一般の住宅でも 南天が植えられていて実がとても美しいのに見とれてしまいました。筆者の自宅にも小さな南天を植えていますが、品種が異なるのか、このような実はなってくれません。

 

道沿いの家の風情ある小門に、赤い花をつけた苗木の椿と 黒猫ちゃんが目に留まったので、失礼してシャッターを押させていただきました。
首都圏の住宅街ではなかなか遭遇しない趣の取り合せで、こんなシーンとの出会いも旅の楽しみの一つです。

 

最後に もう一度、歩道から見える ある住宅庭の もみじの写真をご覧いただいて、旅日記の締めくくりとします。

 

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。