<大阪その3> 桜の通り抜けの造幣局

 

こんにちは。

 

前回の投稿から日にちが空いてしまいましたが、関西旅行記の続きです。

 

アドベンチャーワールドに行った翌日(旅行3日目)に、大阪造幣局を訪問しました。
造幣局を旅の訪問地に選んだ理由は二つです。
第1には、有名な『🌸桜の通り抜け 』の現地を見たかったこと。今年は開花が遅れて結果的に早すぎたことは、旅行出発の2週間以上前には既にわかっていましたが、それでも予定通り行きました。
第2に、「明治維新」という日本の近代化に大きく関わる金融システムの基礎となった施設を見たかったこと、があります。

 

150年以上経った令和の最近でも、テレビなどで幕末や明治維新の前後を取り扱ったドラマやノンフィクションの放送は意外に多く、武家の時代 や 幕藩体制をリセットして革命にも似た明治維新当時の「大混乱」をどうやって収束したのか、現代社会の出発点となった時代だけに興味がありました。

 

さて、造幣局に入ります。  常時公開されている「造幣博物館」が内部にあります。

 

正門です。

 

毎年の 桜通り抜けの開放日は、開花時期に合わせて年ごとに小刻みに調整されホームページから申し込むようです。これは入口付近の電子サイネージ。  惜しかったなぁ!

 

正門脇に守衛所があり、4人くらいの守衛さんが厳重に入場を見張っておられます。

 

許可を得て入ると、早速、桜の名所を告げるレリーフが....。 ガタイが良く真面目な表情の守衛さんに声を掛けられた直後でもあったので、桜の名所の表示を見てホッとしました。(笑)

 

ここは明治初期から桜で有名だったらしく、その時の造幣局長が発案し、 明治16年 (1883年)から通り抜け公開が始まったとのことです。粋な局長さんですね。

 

ちなみに構内の桜の種類は なんと! 141 品種もあり、340本が植えられているとのこと。

 

少し進むと、キャッチコピーとも言うべき『大阪に 花の里あり 通り抜け』の句碑が。
これは、著名な川柳作家であり 川柳史研究家でもある ”本田 渓花坊” 氏の句だとか。

 

目の前に由緒ありそうな桜の木が....。 兼六園の桜と同じ品種の「菊桜」とか。
開花はまだまだ先ですね。

 

おっ!早咲きの「糸桜 (しだれ桜)」だけが咲いて、出迎えてくれました。

 

 

写真左下の道が、通り抜けの道です。 造幣博物館も見えてきました。

 

右手に「明治天皇聖蠋」の石碑が。 聖蠋とは 訪問という意味だそうです。
調べると明治天皇は明治5年(操業開始早々)と 明治10年の2回 ここを訪れたそうで、注目ぶりが伺えます。この碑は 明治5年の来訪を記念してとか。

 

博物館の手前の屋外に、創業当時の圧印機が展示してあります。本物だそうです。

ちなみに、この造幣局では 紙幣は扱わず「貨幣」の製造所であるとのことです。
明治初期の創業当時は、まだ「金貨」「銀貨」が当たり前に存在し、通貨における 高い品質や 製造の均質性を厳密に管理することは、一国の通貨システムの正当性と権威を保つため、また欧米から「国」と認めてもらうためにも、非常に重要だったと (この後の博物館展示で) 記されています。

 

造幣博物館です。

 

中に入ると敷地全体のジオラマが展示されていました。
製造工場群だけでなく、数多くの管理棟や 技術開発棟、従業員施設などから成り立っている大きな施設であることがわかります。

 

さて2階の展示室へ。展示室のエントランスには、造幣局創設に貢献した歴史上の要人のレリーフが何枚もありました。
これは「五代友厚」です。

 

明治新政府の 金融システム・通貨制度確立・造幣局の創設開業に多大に貢献したのは、大隈重信五代友厚渋沢栄一らだったと展示が伝えていました。
明治維新発足直後は全てが混乱だらけで、国の経済の基盤である通貨についてはまだ徳川幕藩時代の各地方の「藩札」や、度重なる改鋳で粗悪化した金銀銅貨の流通を継続せざるを得ず、そのため、各種通貨間の交換比率が複雑化し、また偽造金貨 や 偽の紙幣も横行するなど通貨制度は混乱をきわめたそうです。
これでは国の経済や予算、流通に信用も権威も保てず、外国との間でも正当な交易は無理で、日本は前近代的な古い国として諸外国からみくびられていたと記されています。

 

当時の造幣用の圧印機の模型です。(縮尺 5分の1)

 

古い時代や江戸期も含め、様々な貨幣の展示もありました。
下の写真は操業開始ごく初期の明治4年に鋳造されたという「1円金貨幣」です。
(ホームページからお借りしました)

 

造幣局は貨幣の製造だけでなく、オリンピックなどのメダルも作っているそうですが、全然知りませんでした。
今は懐かしい第18回五輪「東京大会」の 金銀銅メダルの展示もありました。
この絵柄、ぼんやりと覚えています。(笑)

 

長野冬季五輪のメダル。

 

先の 2020東京五輪
2年半前のオリンピックの金メダルを、映像も含めて真近で見たことはなかった。

 

また、造幣局には彫金や紬薬焼成などの加飾技術や、その複製量産する技術も揃っているそうで、装飾や美術品、叙勲用のメダルなどの展示も多くありました。

 

博物館から出て、再び 通り抜けの道へ。八重紅大島などの蕾はまだ固いです。
下の写真の桜ですが、枝がUの字に曲がって不思議な造形です。

 

箒桜 や 衣笠 も、出番はまだ先のよう。

 

せっかく来たので、通り抜けの雰囲気を味わおうと、ホームページから満開時の写真をお借りしました。

いつかまたチャンスがあれば来たい。

 

造幣局を出て 大きな橋を渡りました。
淀川(大川)です。東京でも江戸期は隅田川が大川と呼ばれたそうですが、大阪も淀川を大川と呼ぶのですね。

 

振り返ると、さきほど訪れた造幣局の建物が見えます。
このあと、ここから近い藤田美術館に向かいます。

 

旅はまだ続きますが、今日はひとまずこのあたりで。