関西に旅行(大阪 その1)

 

こんにちは。

 

先週、春休みを利用して 週末にかけて関西へ旅行して来ました。
主な目的は、関西在住の 従兄妹や 学生時代の友人に会うためですが、同時に大阪市内を中心に、白浜(南紀 アドベンチャーワールド)、京都 なども訪ねました。

 

3, 4回に分けて、旅日記を掲載します。
第1回は 大阪(その1)です。

 

 新幹線で新大阪経由で、昼前にJR大阪駅を降りて駅近くのホテルに荷物を置いたあと、まず天満に向かいました。少し前にTVドラマ『あきない世傳 金と銀』(主演 小芝風花)を観ていたので、その想定舞台としている天神橋筋商店街大阪天満宮の 商人の町の雰囲気を味わいたいと思ったためです。天満は大阪城に近いので、セットで午後の数時間を過ごすのに丁度良いと選びました。

 

 

写真は菅原道真を祀る大阪天満宮です。

 

現在の天神橋筋の商店街からは、江戸中期の呉服屋街の雰囲気はなかなか推し量ることはできませんでしたが、天満宮の造営は江戸時代のものということで、周辺の街路の構造とともにその時代の雰囲気を少し感じることができました。

 

休憩がてら商店街のお寿司屋さんでランチをいただいた後、次に大阪城に向かいました。

 

見えて来ました。豊臣秀吉の全国統一を象徴するだけあって、江戸城にも劣らない大きなスケールで、内堀も幅が広くて深いです。

 

大手門の「大手口多聞櫓」を入ると、巨大な岩石で形づくられている城壁に圧倒されます。

 

下の写真で 案内パネルの後ろに聳える石は、一つの石としては 日本の城で最も大きいとされ「蛸石(たこいし)」と呼ばれていて、なんと 幅11.7m、高さ5.5mで 重量が 130トンあるそうです。
この巨石が、どこから どのように運ばれて来たのかが 常に関心を呼んできたが、瀬戸内海の小豆島から切り出され、海上は「たる船」で、川では筏 (いかだ) で運んだとされているようです。

 

 

 

 

入場券売り場で30分ほど並びましたが、待っている観光客の95%は外国人でした。相変わらずインバウンド客が非常に多いです。一昨年頃までは中国の人たちが多いと感じましたが、去年あたりから、白人・インド系・中南米からの人たちで多くを占めていると見受けます。

 

さて現在の天守閣は、江戸時代の初期に落雷で焼けたものを昭和6年に復興されたものだそうです。
内部には、エレベーターが装備されていて5階までは楽に上がれます。(展望台は8階)

 

 

丁度、秀吉の正室であった「おね」にゆかりの展示もありました。
写真には納めませんでしたが、秀吉没後も家康や朝廷を相手に影響を及ぼしたおねの政治力に改めて感嘆しました。

 

エレベータで5階まで上がった後、階段で8階の展望台へ。
大阪城公園は官庁街に隣接していて、大阪府庁、警察本部、NHK大阪局 などが見えます。
金の鯱が、派手だった秀吉の時代を感じさせます。

 

天守閣の7階から下の階は、大阪城にまつわる品々や 秀吉の時代の解説パネルが展示されています。

 

先ず「黄金の茶室」。(復元品)

筆者もよく知らなかったのですが、この「黄金の茶室」は かなり小ぶりで、組み立て&解体が簡単にできる「持ち運び ポータブル式」になっています。(ポータブル茶室!)
秀吉はこれを、京都の御所や 朝鮮出兵の拠点となった名護屋 (なごや) 城(現在の佐賀県唐津市)に持ち込んで茶会をしたとされています。栄華を極めた秀吉らしい逸話です。

 

 

 

 

観終わって天守閣を出て来ました。
目の前に「金明水井戸」がありました。(重要文化財

 

金明水井戸の「井戸枠」は、巨大な一枚岩をくり抜いて作られたそうです。
かつ、この井戸は、秀吉が水を清めるために、井戸に黄金を多数沈めたという伝承が残されているとのことです。秀吉の権勢、思い入れ、淀殿と秀頼時代の大阪の陣の熾烈な戦いに、思いを馳せてしまう大阪城見学でした。

 

 

夜は、従兄妹 二人(ともに年下)と、梅田のレストランで食事をしました。
いとことは、昨年に叔母の葬儀で顔を合わせましたが、ゆっくり話すのは、実に約40年ぶりでした。一人は整形外科医、もう一人は 小中高生に 英数国を教える塾をやっているということで、すっかり立派になっていましたが、幼少期の懐かしい思い出話に花が咲きました。

 

 

旅日記は まだ続きます。

 

ではまた。