川中島

 

こんにちは。

 

少し前になりますが、あるタレントの トークショー&コンサート と、7年ぶりの善光寺の御開帳を観に長野に旅行した時に、川中島にも足を伸ばしました。

 

川中島は言うまでもなく、武田信玄上杉謙信が五度にわたって戦火を交えた古戦場として有名ですね。

 

川中島の近くにお住いの方や良くご存知の方々から笑われそうですが、地名の響きから、信濃川の「中州の島」を中心に両岸の広大な河川敷の一帯を指す地名かと勝手に想像していました。そこが合戦の場になったのかと・・・。
戦国大名の中でも有数の大勢力を誇る武田氏と上杉氏の 数万の両大軍を飲み込める「島」とは、途方もなく大きな河原なんだろうと、よく調べもせず勝手に想像をたくましくしていました。歴史には興味があり、一度行ってみたいとは考えていました。

 

もう一つ、以前から川中島に興味を持った理由があります。
話は逸れますが、筆者は果物の中でも柑橘類と桃が好物です。桃は6月の下旬くらいから早生の日川白鳳などが出始めると思いますが、シーズンを締めくくるのは やはり8月上旬の「川中島白桃」ですね。季節のトリを取るこの白桃に堂々と地名を冠する川中島で品種改良してこれが生まれたのだろうと一目置いておりました。

 

長野旅行を計画した際に、川中島に寄るぞ と 行程に組み込みました。

 

そして、地形を妄想していた土地を訪れました。
市内から小一時間バスに揺られて着いたところは、大河の中州ではなかったですが、昔は原野だったかも知れない雰囲気は残っていて、今は八幡原史跡公園として整備されていました。

 

武田信玄の本陣があったとされる場所に 今は「川中島八幡社」があります。武神と呼ばれた譽田別尊が祀られているとのことです。

 

八幡社に向かい合うように、木立を縫って 武田菱の幟と 上杉が祀ったとされる毘沙門天を意味する「毘」の幟を配した公園があります。

風の音だけを聞きながら幟を見ていると、合戦の武将たちの叫び声が聞こえてくるようです。まさに「兵どもが夢のあと」です。

 

片や、八幡社に隣する位置に、両雄のモニュメントがあります。

 

風林火山ですね。

 

 

斜め向かいには、両軍の陣形を説明するパネルが。

 

上のパネルを見ると、「川中島」という地名の意味するところが良くわかる気がします。
戦国時代においては、千曲川犀川に挟まれた広大な地域一帯を言うのですね。両河川に挟まれた地域は、恐らくは肥沃な土地であることから、武田と上杉が支配を争った背景が理解できます。

 

山本勘助や 信繁、長尾氏など、有力武将の軍がパネルに表示されています。

 

 

すぐ近くに長野市立博物館があったので、寄って来ました。

博物館内。

戦国時代の暮らしぶりなどが覗われ、興味深かったです。

 

博物館の色々な説明を読むと、近世以降は、現在の長野市中心部を含む北信地方全体を「川中島」と称するようになって来たようです。川中島という地名が、長野県北部において とても大切な地名であると感じました。

 

 

市内への帰りの途中で、八幡原の近くにある「松代城海津城)跡」にも立ち寄って来ました。

 

 

日本史を感じる数時間となりました。

 

ではまた。